正当な議論に目を背けるフミヒロさん

・・・「さっぱり意味が分かりません。
そもそも社会国家的公共の福祉とは、人間理性の特徴として「自由な行為としてはできるが、あえてしないことにより、よりよい社会を実現する」という自制の観念であり、これが経済と同様に表現についても当てはまることは直感的に明らかであり、この直感を覆していない以上、説得力は皆無です。
なぜ経済においては、独禁法や金融法で、自由国家的公共の福祉以上の制限をかけ、健全な経済社会を実現すると言っておきながら、表現についてはしないのでしょうか。
社会観念上、蓄積してきた言論に基づき、明らかに社会の健全性を損なうような言論は存在し、それは客観的に判定できるのであって、これは経済の場合と変わりません。
すでにsummercontrail氏が自白しかけたように、政治的な問題である「不満のガス抜き」を実現するために、無理矢理なこじつけ解釈をしているとしか思えません。いずれにせよ法の平面では実に不自然な解釈です。」(summercontrailさんのブログにおける「二重の基準論」についての数年前のフミヒロさんのコメントより引用。)・・・
なぜこういう思考経路になるのかさっぱり理解できない。