T大学H学部の優の話

 T大学H学部の「優」の話をしたい。
 ここでいう「優」は、成績の「優」である。この学部では、成績は、上から順に「優」、「良上(上の記載は良の右斜め上につく)」、「良」、「可」及び「不可」であった。現在は、「優上」、「優」、「良」、「可」及び「不可」であるらしい。
 さて、30年前の「優」の認定は、大変に厳しく、そのため、「優」を拝領することは、学生には羨望の的であった。
「優」を取得単位全体の三分の二拝領できれば、「学部助手」になれ、助教授への途が拓かれていた。
 また、官庁の採用においても、試験はそれほど難しくなく(判例を覚えればいい。)、「優」の数で決まったといっていい。
さらに、当時の官庁の出世の行方は、既に「優」の数で決まっていたそうだ。
 なお、この成績制度には、不思議なものがあった。それは、「優可相殺」である。
すなわち、一つの「可」を取ってしまうと、一つの「優」と相殺され、「良」が二つに変化するのである。
 また、T大学H学部では、他学部の単位も取れたのだが、教授陣は、他学部の「優」の価値を余り認めかったとのことである。
やはり、他学部の「優」は取得が簡単であるし、しかも、T大学H学部本流の「優」ではないかららしい。 
 さあ、私は、このT大学H学部卒業の身である。卒業から25年を超えた今、一つの自慢をすることをお許しいただきたい。
私は、講義を受ける際に、基本書、判例百選、六法をノートの横において、教授の声を録音した(録音を禁止していた教授もいたが傘に隠して録音した。
当時はICレコーダーもなくカセットテープだったので非常に苦労した思い出がある。)。
そして、全身全霊で講義ノートを作成していった。
さらに、講義を受けた後、下宿や総合図書館で、録音した教授のお声を再生して、ノートを補充し、判例を検索した。
その甲斐もあってか、私の学生票(当時の成績表のこと)には、「優」が16個、「良上」も数個が記載されていた。
 本当に感激したものである。しかし、私は不覚にも「可」を1個取得してしまった。したがって、「優可相殺」により、「優」は15個になってしまったことはかえすがえすも悔しいことであった。
三分の二基準に僅かに届いていなかった。
 さて、この「優」については、「全優伝説」の学生というものがある。
 T大学H学部で取得した単位全部が「優」の学生である。近頃は山口真由さんが有名だが、戦後「全優」を獲得した人は僅かしかいない。
 これが、大学の本当にあるべき姿だと私は現在でも確信している。